Special Interview

My AgeWell Story

人はだれも人生の主役。
さまざまなMyStoryを生きています。

真摯に進む人、大らかに笑う人、立ち止まり考える人、諦めない人、悩みもだえる人、穏やかにほほ笑む人…どんな姿も美しい。
そんなAgeWellを目指して生きるあの人に訊くMy AgeWell Story

第1回
内藤さとこさんインタビュー

過去や未来を思い煩うより
「今を前向きに生きる」
そのための自問は
「どうしたら?」

内藤さとこさんのこれまで

まずはご自身の今とこれまでをハイライトで教えてください

AgeWellLiving立上げ人でありAgeWell Livingナビゲーターです。1964年生まれの愛知県名古屋市在住。バリキャリ→超未熟児双子出産→カオス専業主婦→寄り添いをモットーとするライフオーガナイザー→ALSの実母を自宅介護→見送り→AgeWellLiving立上げ→11回目の引越し&リノベで終の棲家作りと、振り返れば結構なジェットコースター人生です(笑)その分、たくさんの気づきと出会いがありました。ライフオーガナイザーやAgeWellLivingそして、新しく始めるリコライフも、私がこういう人生を生きていなかったら、たどり着かなかっただろうと思うと感慨深いです。この経験を以って、色々な転機に惑う人に寄り添い、背中を押せたらといつも思っています。現在は10年ぶりに少し時間的にゆとりのある日々。楽しいこと気持ちいいことをなるべく選んでエネルギー充填中。

もうやめよう、悲観主義から後天的楽観主義へ

双子のお子さんがとても小さく生まれたんですね

ジェットコースターの一番大きな急こう配がこれだったかもしれません。大人二人の気楽な結婚生活の中に840gと970gの小さくて病弱な双子、障害も遺ると宣告されて生活は一転。日々、病院と療育に奔走して。今後どうなるか未来も描けず、「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と四六時中不安と心配の中にいたんです。ある時、しかめ面で不安な未来を妄想していたら、心配顔で見上げる子どもと目があってハッ。私、見えない未来の中にいて今を生きてない、子どもの成長も楽しんでない、笑いかけてない、これダメだ、妄想で悩むのはもうヤメー!って天啓が降ってきたんですよ。そこから私は楽観主義へと転向をはかりました。もともとの性質は簡単に変えられませんから、まずは一旦悲観的に捉えて、その不安要素をひとつひとつオセロみたいにひっくり返す技を習得して、後天的楽観主義者に。もう力技です笑
そこからの私のモットーは「今を前向きに生きる」。不安になったり迷う時ももちろんあります。でもそんな時は、不安はそのままに、前に進むために「どうしたらいい?」「何をしたらいい?」とできることを探すようになりました。

その後も育児に専念され、お子さんが9歳の時ライフオーガナイザーに。きっかけは家が散らかっているのは思考が散らかっているからでは?との気づきから。本格的にライフオーガナイザーとして活動し始めた矢先、お母様が体調を崩されて、さとこさんは仕事とお母様のケアに奔走することに。

母と私は母子家庭を支え合って生きてきた戦友だったので、母をサポートするのは自然なことでした。まぁ、仕事を再開したら、子供たちの面倒をみてもらおうと目論んでいたあては見事に外れてしまったんですけどね。母はとても自律的な人で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)というとても不自由でつらい病気とわかり、身体が動かなくなっていく中でも、できる限り自分のことは自分でやろうとしていました。私は母から、どこまでも自立していたい、娘の手を煩わせたくないという凛とした気概を感じていたんですよね。同じマンション棟内に呼び寄せましたが、ヘルパーさんと一緒に、独り暮らしを頑張ってし続けてくれていました。
でも、車椅子にも自力で乗れなくなった時、入院するか施設に入るかの瀬戸際で、母が自宅介護を希望したんですね。入退院を繰り返す中で、デリケートな母が「自分らしく」「人らしく」あるためには細やかなケアが必要と痛感していたので、私は出来る限り母の願いに応えたいと思いました。そして同居しての介護が始まったんです。

全力で寄り添った自宅介護、見送った後、たくさんのギフトが

お母様の自宅介護は大変でしたか?

介護者は私一人。要介護4からスタートして最後は要介護5。とても優秀なケアマネさんとご縁があり、朝8時~夜8時までを多くの訪問看護師さん、ヘルパーさん、訪問医、リハビリスタッフの方に支えてもらいました。私は昼間の空き時間と夜8時から翌朝8時までを担当したのですが、闘病が5年は続くと思ったので、仕事もほとんど減らさず、毎日睡眠時間はコマ切れに2~3時間。習って体位交換もや胃ろうへの経管栄養注入、摘便も人工呼吸器の装着までやりました。その時々必死だったので、大変と思う暇はなかったですね。病気が進行し言葉で伝えられなくなっても、長年一緒にいたので母の要求や好みの加減が誰よりもわかるのは私。その使命感がエネルギーだった気がします。でもあまりにも寝不足が辛くて泣いたりもしましたし、母の繰り返しの要求に声を荒げてしまったり、後悔もたくさんあります。私が一生懸命すぎて、弟たちが手伝う余白がなかったことも後々考えさせられたことでした。そんな感じで4カ月間奮闘したところで、母は旅立ちました。私を解放するために母は生き急いだのではないかと思ったりして、最期まで子どもを想う凛とした母親として生ききった母を誇りに思っています。

その経験がAgeWell Livingの立上げにつながったのですね

そうなんですよ。本当に濃密な経験でしたから、シェアによって誰かの役に立てるのではないかと思っていました。年を重ねゆく一人ひとりが、豊かに幸せに生き、満足して旅立つために、何が必要なのか、どんな準備があったらいいのかのヒントをね。
そこで奇跡的に出会ったのが、立上げに関わった4人です。出会ってみれば、たくさんの共通項がありましたが、もともとのフィールドは全然違う私たち。普段なら「結合」したりしないメンバーですから、これも天の采配だったかなと笑 そう思うことは他にもあって、AgeWellというネーミング、そして「より豊かに、より幸せに」「今も、これからも、100歳までも幸せに」という私たちのメッセージを伝えるコピー、こういうのは、いつもふっと降りてくるんですね。だからAgeWellLivingは、きっと世に必要とされているんだな、と思うことにしています笑
準備に半年、AgeWell Livingが立ち上がって1年経ち、Yes,AgeWellを合言葉に、豊かに幸せに生きようと声をかけあえる仲間がたくさん増えました。私は、飽き性でなんでも続けるのが苦手ですが、運営に携わり、励まし合える人たちと繋がっていることが、私のAgeWell Livingライフに大いに貢献してくれていると思います。これからも皆さんと長い旅を一緒に歩いていけたらうれしいです。

ジェットコースター人生について、笑いを交えながらを明るく話すさとこさん。芯の強さや頑張り屋なのは一緒に仕事をしていて感じることですが、こんなに大変な介護だったとは知りませんでした。でもその経験がさとこさんの包容力、説得力につながっているのだと思いました。さとこさんのストーリーに乾杯です。

インタビュアー:AgeWellLivingナビゲーター 秋山陽子
取材:2021年4月25日